2012年9月25日火曜日

白黒の世界


数年前に書店で手に取った本。「ペルセポリス」。
イラン人のイラストレーター、マルジャン・サトラピさんの
半生を描いたいわゆる「漫画」です。激動の70年代から90年代のイランを経験してきた
サトラピさんのこの作品は悲しみとシュールな笑いが入り交じった
イラン版「ちびまるこちゃん」という感じ。


でもその本はまさに私が目指してる「一コマ一コマの絵に魅力を感じる」に
通じる漫画でした。
そしてトーンなど使ってなさそうなドップリ白と黒の世界。
一瞬で引き込まれました。
白と黒だけでこんな....こんなに良い絵が描けるなんて。


この作品は映画化もされて
アニメーションとしては数十年ぶりにカンヌ国際映画祭で審査委員賞を受賞してます。






この他にもイラン人女性の性生活を赤裸々に描いた「刺繍」ももちろん白黒。




そして11月に実写映画化される「チキンのプラム煮」(映画の邦題は「チキンとプラム」原題は本も映画も「poulet aux prunes」)。
この作品はサトラピさんのおじさんがモデルだそうです。
原作ではイラン伝統楽器のタール奏者ですが、映画では世間に浸透しているバイオリンになってます。そして主役が「潜水服は蝶の夢をみる」のマチューアマルリック。
実写ですが、アニメーションありファンタジーありの映画だそうで
難しいフランス映画の中でもかなり観やすい作品らしい。
絶対映画館に行かなくちゃ!!!

このチラシ観ただけで期待しちゃう。




主人公の忘れられない人役で出てる
             イラン人の女優さんが素敵すぎる。


             
で、最近はフランスの老舗百貨店「ル・ボン・マルシェ・リーヴ・ゴーシュ」の160周年記念のイラストも描いたみたい。モデルはカトリーヌドヌーブ。ペルセポリスで声優として出演したカトリーヌとは友人同士らしい。羨ましい。

2012年9月14日金曜日

26年

小さい頃から絵を描き続けているけど、自分で誰にも流されずハマり続けている事は
それだけだと改めて思う。
あとは全部人の影響....。
でも流されてなければ今の自分はいないと感じる。


3歳頃に同じ区内のマンションに引っ越しをして、そこである男の子と仲良くなった。
その男の子からは本当に感謝しなければいけないくらい色々良い影響を与えてくれました。


それは誰もが幼少の頃夢中になるであろう漫画とアニメとゲーム。
元々男の子っぽいものが好きだったのですぐに夢中になり
ドラゴンボール、ガンダム、キン肉マン、ウルトラマン、スラムダンク、遊々白書、マリオ、ドラゴンクエスト、ストⅡなど
男の子ワールドにのめり込み、女の子の漫画やアニメには目もくれずでした。
姉が少女漫画を買って読んでいたので読ませてもらって面白かったけど
やっぱり根本的に男の子ものにしか興味がなかった。



なかでもドラゴンボールは子供の私を狂わせる程夢中にさせ、
一時期ものすごく流行ったカードダス集めにも熱を入れ
何百枚と集めたほどでした。
母とスーパーに買い物に行く度、100円をせがみ
入り口付近にあったカードダスに走ったり。


鳥山明先生の描く絵は今でも大好きで小学校低学年の頃、母に新宿で開催されていた
「鳥山明の世界展」に連れて行ってもらった時の事。
ものすごい混雑。衝撃だった。
自分の作品を観に、こんなにも数えきれないほどの人が来てくれている。
子供ながらに鳥肌が立ち、はしゃいだ事を今でも覚えてる。
自分もいつかこんな大勢の人たちに観てもらえるような絵を描きたいと感じました。



でもそんなに漫画を読んでも漫画家になろうとはあまり思わなかった。
漫画というよりもその一コマ一コマの「絵」に魅力を感じ
一枚の作品で完結するような絵を描くのが好きだったから。


そうして中学生になり、父と母の持っていた1960年代70年代のフォークソングや
ビートルズのCDを聴きまくり、絵も描いて.......一番自分の世界に閉じこもっていた時期だと思います。


高校生になって洋楽と海外に興味を持ち始め、そこから段々海外アーティストに
目を向けるようになっていました。
これは姉の影響です。デザインの勉強をしていた姉に色々教えてもらい
少しずつ美術館にも足を運び色々な作品を観ました。
進学は金銭的にも学力的にも美大は難しいと思い、
とりあえずお金貯めながら留学を目指そうと
思い、今に至ります。


お金も貯められず、学力も変わらず....。
だらだらとしていますが
19歳の時、1年間だけイラストレーターの学校へ行き
そこで色んな方と作品を見せ合ったり、展示会をやったり
今まで人に自分の描いた絵を見せるなんて出来なかった自分が
ここに来て変わったのがわかりました。
自分の作品を評価してもらい、酷評であれば描きまくり、
褒められれば自信につながり。とても貴重な時間でした。


留学は今は前程強く考えていなく
独学でも良いじゃないかと辛い事が嫌いな私があえて辛い道を選びつつあります。


それが正しいのかどうか、私自身のこれからの努力と運次第だと思います。
まだやりたい事は漠然としています。人生の最後まで何になりたいのか何を描きたいのかわからないままで終わるかもしれませんが、変わらないのは自分の作品を一人でも多くの人に観てもらい私の作品で笑ったり泣いたりしてくれる人に出会う事が今の夢です。
とにかく色々アート以外の分野にも触れ、沢山描くという事を続けて行きます。







2012年9月8日土曜日

short hair long hair



絵を描くとき、参考になるというか影響受けるのは映画、音楽が多い。
映画は特に影響を受けやすくそれによって変な趣向が生まれた。
「女はショートヘア、男はロングヘアが似合う俳優」を探すのが好きになって

気づけば「かっこいい髪型の俳優」に目がいくようになった。
そういう人たちをモチーフに描く事が多い。




           「スライディングドア」グウィネスパルトロウ



           「KIDS」クロエセヴィニー


             「勝手にしやがれ」ジーンセバーグ


           「永遠の僕たち」ミアワシコウスカ


             「17歳のカルテ」ウィノナライダー


           サマンサモートン


                                         「ジョンとメリー」ミアファロー


アキカウリスマキ


             「妹の恋人」ジョニーデップ


「殺したいほどアイラブユー」リバーフェニックス


                                          バスターキートン


まだまだいっぱいいそうだ。

慣れないブログ始めました。



イラストレーターになりたいのか、画家になりたいのか。
永遠の悩みになりそうです。
「絵を描いて生きて行く」それは揺ぎない。
どうしてこんなにも絵を描いてるのか。
理由は好きだからという事だけ。
なんに対しても三日坊主な私が続けられているのは「絵を描く」だけ。
外で遊ぶのも好きだったけど、レゴをやったり絵を描いたり
アニメ観たり、とにかく一人で遊ぶのが好きだった。とにかく絵を描いた。



絵を描く事は好きだけど、色をつけるのがとても苦手で
幼稚園の頃、母の日に描いた母の絵が色を一切使わず、黒のみで描いていた。
それだけではなく普段から色をあまり使わなかったみたいで
さすがにやばいと思ったのか母は先生に
「うちの子大丈夫でしょうか?」と聞いたこともあったそう。
先生は「大丈夫ですよ、心配ないです」となんだか適当な答えだったみたいで
なんとか大丈夫だった.....半分は大丈夫じゃないですが。
大丈夫じゃない部分があるからこそ自分に自信が少し出来、
今でも絵が描けているのかと思う。



最近色々な人に作品を観ていただけるようになり
仕事もいくつかさせていただいたり
描き続けて良かったと思う時が多くなって来てます。
こうやって描き続けていられるのは
色々影響を与えてくれた二人の姉と
私が絵描きになれる日がくることを待ち続けてくれている母と
応援してくれている友人達です。



これからも描き続けます。
このブログも私の作品を知らない人たちに沢山見てもらえるようになるといいです。